名 称 | 内 容 | 場 所 |
康源寺  | ○康源寺は室町時代に現在の長野県長野市川中島町付近に創建された寺院で、その後、北国街道新井宿にある新井別院、八幡宮の境内を経て延宝6年(1678)に現在地に遷りました。山門は元禄8年(1695)の建築で、三間一戸、入母屋、金属板葺き、八脚鐘楼門。
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| ・新潟県 ・妙高市 |
林泉寺  | ○林泉寺は春日山城の山麓に位置し、戦国時代に長尾能景が曇英恵応を招いて創建した長尾家歴代の菩提寺です。長尾家は春日山城を本拠として越後国守護代を歴任し下克上により越後国を掌握しました。後に越後の虎とも言われた上杉謙信は幼少時に林泉寺に預けられ天室光育から学問を学んでいます。慶長3年(1598)、上杉景勝が春日山城を離れ会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)に移封になると、新たに春日山城の城主となった掘秀政が菩提寺として庇護し、江戸時代に入っても歴代高田藩(本城−高田城)の藩主が菩提寺とした為、引き続き領内の中心的な寺院として繁栄しました(江戸時代の上杉家の移封先である米沢城の城下にも林泉寺が創建されています)。総門は春日山城の裏門を移築したと伝わる古建築物で上越市指定文化財に指定されています。山門は三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺、八脚二重楼門。
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| ・新潟県 ・上越市 |
慈眼寺  | ○慈眼寺は奈良時代の弘文元年(672)に薩明大徳によって創建された寺院です。当初は当地域を代表する大寺院だったとされますが、南北朝時代の動乱と戦国時代の兵乱の兵火により大きな被害を受けて衰微しました。江戸時代に入ると現在地に境内を移し再興が図られ、本尊が江戸に出張開帳するなど広く信仰を集めました。戊辰戦争の際には慈眼寺本堂で新政府軍の岩村精一郎と長岡藩(新潟県長岡市:本城−長岡城)の家老河井継之助との会談が行われた歴史的な舞台にもなっています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺き、八脚楼門。
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| ・新潟県 ・小千谷市 |
神宮寺  | ○神宮寺は平安時代初期の大同2年(807)に征夷大将軍である坂上田村麻呂による創建された寺院です。現在でも平安時代に製作された木造十一面千手観音立像、木造四天王立像(毘沙門天)、木造四天王立像(広目天)を所有し当時は相当繁栄した寺院だった事が窺えます。その後、衰退しましたが延宝8年(1680)に朴巌道淳和尚により再興され随時堂宇も整備されました。山門は江戸時代中期の建築で、三間一戸、入母屋、茅葺、八脚楼門、新潟県指定文化財に指定。
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| ・新潟県 ・十日町市 |
普光寺  | ○普光寺毘沙門堂は、平安時代初期に征夷大将軍である坂上田村麻呂が毘沙門天王像を安置して創建しました。鎌倉時代に入ると平繁基が道乗坊辯覚を招き毘沙門堂の別当寺院となる普光寺を創建しています。戦国時代に入ると春日山城の城主上杉謙信が毘沙門天に篤く帰依した事で普光寺毘沙門堂も庇護しています。江戸時代に入ると徳川将軍家の庇護となり10万石の格式を認められています。山門は日光東照宮の陽明門を模した建物で、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、南魚沼市指定文化財に指定されています。
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| ・長野県 ・南魚沼市 |
千眼寺  | ○千眼寺は戦国時代に真言宗の寺院として開山しました。天文元年(1532)に平林城(新潟県村上市)の城主色部昌長が大沖玄甫を招き曹洞宗に改宗し、天正年間に平林城の城下となる現在地に移し色部家歴代の菩提寺としています。天正19年(1591)、色部長真が大森城(秋田県横手市)に在城した際、保呂羽山波宇志別神社(秋田県横手市)を篤く帰依し、平林城に戻る際に分霊を勧請し、千眼寺の境内に保呂羽堂を創建しています。山門は三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門。
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| ・新潟県 ・村上市 |