普光寺: 楼門

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普光寺(新潟県・南魚沼市)

普光寺(新潟県・南魚沼市)概要: 普光寺毘沙門堂は、平安時代初期に征夷大将軍である坂上田村麻呂がインド出身の仏師、毘首羯摩が制作したと伝わる毘沙門天王像を安置して創建しました。鎌倉時代に入ると領主である平繁基が道乗坊辯覚を招き毘沙門堂の別当寺院となる普光寺を創建し「永代殺生禁断」を発布、その後も周辺領主から庇護を受けました。戦国時代に入ると春日山城(新潟県上越市)の城主上杉謙信が毘沙門天に篤く帰依した事で普光寺毘沙門堂も篤く庇護しています。江戸時代に入ると坂戸城の城主堀丹後守直寄候が寺領を寄進し、堀家移封後は徳川将軍家の庇護となり10万石の格式を認められました。慶長年間(1596〜1615年)の火災で長く本格的な堂宇の無い状態が続きましたが、延宝(1680)に再建が図られ、享保年間(1716〜1735年)からは堂宇の営繕工事の際は魚沼地域全域から公課徴収権利が与えられています。普光寺山門は天明2年(1782)に日光東照宮の陽明門を模した建物で、三間一戸、入母屋、正面軒唐破風、銅板葺、八脚楼門、谷文晁師作の双龍図板絵、板谷佳舟作の天女舞姿絵、十六羅漢修業図、釈尊出山図、南魚沼市指定文化財に指定されています。

普光寺が境内を構える浦佐の地は、普光寺の門前町の門前町と共に、三国街道の宿場町である浦佐宿として整備された町です。大名や代官などが宿泊や休息で利用される本陣は坂西家が歴任し、庄屋は関家などの有力者がその任を担いました(浦佐宿には脇本陣は設置されなかったようです)。浦佐宿には屋号「みやこ屋」を掲げる芸者置き屋があった事から賑やかな宿場だったと思われます。又、普光寺境内背後の高台(薬師山)には中世の山城である浦佐城が築かれていた事から城下町としての機能があったのかも知れません。当地は戦略的にも重要な地だった事から浦佐城も度々攻防戦があったようで、特に天正6年(1578)の上杉家の跡目争いである「御館の乱」の際には、上杉景勝(春日山城の城主)に与した清水藤左衛門が上杉景虎方の北条軍の猛攻から浦佐城を堅守しています。

三国街道は越後の寺泊宿(新潟県長岡市)と上州の高崎宿(新潟県高崎市)を結ぶ街道で、街道筋が越後と上州との国境に位置する三国峠を越えた事から三国街道と呼ばれるようになったとされます。特に、越後を所領としていた諸藩(長岡藩・村松藩・江戸時代末期には与板藩)の参勤交代や、幕府直領の佐渡金山を管理する佐渡奉行などが三国街道を経路として利用しました。往来も多く、三国街道を利用した旅人や商人も普光寺を参拝したと思われます。

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