宮城県の楼門建築1

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名 称
内   容
場  所
・瑞川寺○瑞川寺の創建は不詳ですが古川城の城主古川氏の菩提寺だったとされ、天文5年(1536)に伊達家と大崎家に攻められ古川城が落城すると、その兵火により堂宇が焼失し衰微しました。大崎義隆は没落した古川氏の霊を慰める為に一宇を造営、天正9年(1582)には松音寺六世松庵堅貞を招いて中興開山しています。天正18年(1590)の奥州仕置きにおり大崎氏が改易となり、その反発により「大崎・葛西一揆」が発生、瑞川寺もその兵火に再び衰微しました。その後に領主となった伊達政宗は、古川城に鈴木元信を配すると、元信は瑞川寺を再興しています。山門は古川城の城門を移築したもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、大崎市指定文化財に指定されています。

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・宮城県
・大崎市
・桃源院○桃源院は天文13年(1544)に茂庭良直が一華宗甫和尚を招いて創建した寺院です。江戸時代に入り、茂庭氏が当地に配されると、桃源院も随行に境内を構えました。一国一城令により茂庭氏の居城である千石城が廃城となり、対岸に改めて上野館が設けられると、千石城の中腹部に境内を移しました。山門は一間一戸、入母屋、本瓦葺、四脚楼門。

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・宮城県
・大崎市
・仙台東照宮○仙台東照宮は仙台藩(宮城県仙台市:本城−仙台市)2代藩主伊達忠宗によって創建された神社です。伊達家は有力外様大名で危険視されていた事もあり、江戸幕府初代将軍である徳川家康を大々的に祭る事で徳川将軍家への帰順と忠誠を示す必要性がありました。その為、仙台東照宮は、日光東照宮(栃木県日光市)を模した壮麗な造りとなり仙台藩の技術の粋が集められました。随神門は三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺、八脚楼門、国指定重要文化財に指定。

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・宮城県
・仙台市
・延命寺○延命寺は戦国時代に中道坊卓彦俊雄法印によって創建された寺院です。境内には源義経が奥州平泉に向う途中、当地を訪れ、従者である武蔵坊弁慶が薙刀の錆びを落として以来水質が濁ったままと伝わる「不澄ヶ池」があります。山門は白石城(仙台藩は大藩だった為、本城である仙台城以外にも白石城が支城として認められ、重臣である片倉氏が歴代城主を勤めた)の厩口門を移築したもので、三間一戸、切妻、本瓦葺、八脚楼門、国登録有形文化財に登録さ。

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・宮城県
・白石市
・当信寺○当信寺は戦国時代に良益上人によって創建された寺院で、真田幸村の娘で、片倉重長の後妻となった「阿梅」の菩提寺となっています。その後は片倉家縁の寺院として庇護され領内四ヶ寺に数えられています。山門は白石城の大手門の2の門(櫓門)を移築したもので三間一戸、切妻、桟瓦葺、八脚楼門。境内には阿梅と同じく真田幸村の子供とされる大八の墓碑が建立されています。

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・宮城県
・白石市
・八幡神社○八幡神社の創建は、慶長3年(1598)、石川昭光が角田城に配された際、旧領である福島県石川郡に鎮座していた八幡神社から分霊を勧請したのが始まりとされます。旧領時代から八幡神社は石川家の守護神だった事から引き続き庇護され、角田領の総鎮守、一宮としての格式を持ちました。随神門は江戸時代末期の慶応2年(1866)に造営されたもので、三間一戸、入母屋、鉄板葺、八脚楼門、角田市指定文化財に指定されています。

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・宮城県
・角田市
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宮城県1瑞川寺桃源院仙台東照宮延命寺当信寺八幡神社
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