光明院: 楼門

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光明院(宮城県・涌谷町)

光明院(宮城県・涌谷町)概要: 光明院は鎌倉時代後期の乾元元年(1302)に武石宗胤が開基となり良徳聖弁上人(法然上人の弟子)を招いて創建された寺院です。武石宗胤は鎌倉幕府の有力御家人だった千葉胤常の3男千葉胤盛の後裔で、胤盛が下総国千葉郡武石郷(現在の千葉県千葉市花見川区)に配された事から地名に因み武石姓を名乗るようになり、建久元年(1190)の奥州合戦(奥州藤原氏掃討戦)で大功を挙げ、宇多郡、伊具郡、亘理郡の3郡の領主に就任しました。武石氏はその後、亘理氏に改称、南北朝の争乱以降伊達家に従うようになり一族として扱われるようになっています。天正19年(1591)、亘理元宗が涌谷城に配された際、光明院も城下町である現在地に遷されました。江戸時代以降も涌谷(亘理)伊達家が涌谷城(一国一城令後は涌谷要害)の城主を歴任した事から引き続き光明院も庇護の対象となり寺運も隆盛しています。本堂には祖である武石胤盛の位牌(光明院殿紫覚了雲円照大居士)が安置されています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、上層部中央には花頭窓、左右には眼象窓、高欄付、下層部にも花頭窓付、仁王像安置。本堂には源頼朝の枕仏で千葉常胤が拝領し武石胤盛が継承したと伝わる阿弥陀如来像が本尊として安置されています。

光明院:動画

涌谷城:動画

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