宮城県の楼門建築2

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名 称
内   容
場  所
・大雄寺○大雄寺の前身である陽林寺は永正11年(1514)、伊達家14代当主伊達植宗が、盛南舜籍大和尚を招いて創建した寺院で、その際、舜籍は師である喜庵祥悦大和尚を開山1世とし、自らは2世となっています。慶長9年(1604)に伊達成実が亘理城に移封になると、陽林寺も当地に遷され、雄山寺、その後、大雄寺と寺号を改称しています。歴代亘理伊達家の菩提寺として庇護され、境内には成実、実元、実氏3代の御霊屋、歴代亘理伊達家の墓碑が建立されています。山門は文政年間に造営されたもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、亘理町指定文化財に指定されています。

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・宮城県
・亘理町
・光明院○光明院は乾元元年(1302)、武石宗胤に創建された寺院です。武石氏はその後、亘理氏に改称、伊達家に従うようになり、天正19年(1591)、亘理元宗が涌谷城に配された際、城下町である現在地に遷されました。本堂には祖である武石胤盛の位牌(光明院殿紫覚了雲円照大居士)が安置されています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。

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・宮城県
・涌谷町
・華足寺○華足寺は平安時代初期に、征夷大将軍である坂上田村麻呂が、蝦夷征伐で犠牲となった愛馬郷黒と兵士達を一宇を設けて慰霊する為に創建されました。日本最古の馬頭信仰の霊地とされ、牛馬に携わる人達から篤く信仰されました。歴代領主である奥州藤原氏、葛西氏、仙台藩主伊達家から庇護され寺運が隆盛し、寺領や堂宇の造営が繰り返し行われました。山門は寛政11年(1799)に仙台藩9代藩主伊達周宗により造営されたもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚2重楼門、宮城県指定文化財に指定されています。

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・宮城県
・登米市
・昌学寺○昌学寺は嘉祥元年(848)、慈覚大師円仁が創建した旨江山鳳音寺台光院を前身に持つ寺院です。台光院は戦国時代には既に荒廃していましたが、弘治元年(1555)、吉山松音和尚により改めて曹洞宗の寺院として開山しています。山門は江戸時代後期に地元(赤谷)の名工として知られた菅原卯八によるもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、四脚鐘楼門、登米市指定文化財に指定されています。

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・宮城県
・登米市
・養雲寺○養雲寺は長享2年(1488)に白石宗長が麟慶純和尚を招いて創建した寺院です。白石家歴代の菩提寺として、白石から、二本松、水沢と移り、慶長9年(1604)に白石宗直が登米(寺池城)に配された事を受けて現在地(旧領主である葛西家縁の太白山永明寺の跡地)に移っています。宗直は大坂の陣で大功を挙げた事から仙台藩主伊達家から一門扱いを受けるようになり、以降、養雲寺は歴代登米伊達家の菩提寺として庇護されました。山門は戦国時代に寺池城の城門を移築したものと伝わる古建築物で、三間一戸、切妻、銅板葺、登米市指定文化財に指定。

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・宮城県
・登米市
・宝鏡寺○宝鏡寺は鎌倉幕府御家人で奥州熊谷氏の祖とされる熊谷直宗が開基となり創建された寺院です。室町時代に入り正法寺3世の虎渓良乳和尚が草庵を設けたとされます。山門は宝暦年間に建てられたもので、三間一戸、入母屋、茅葺、八脚楼門。気仙沼市指定文化財に指定されています。

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・宮城県
・気仙沼市
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