桃源院(宮城県・大崎市)概要: 桃源院は室町時代の天文13年(1544)に茂庭良直が 松林寺三世一華宗甫和尚を招いて創建した寺院です。茂庭良直は伊達郡茂庭村(現在の福島県福島市飯坂町茂庭)を領していた土豪で、戦国時代は伊達家に従い重臣として伊達稙宗、晴宗、輝宗、政宗の4代に渡り仕えました。伊達輝宗から評定役に抜擢されると、度重なる戦で従軍して大功を挙げ、伊達政宗からは伊達家一族の家格が与えられ、人取橋では伊達軍の総大将として壮絶な最期を遂げています。桃源院はその後の茂庭家の領地となった出羽国置賜郡長井郷米沢川井村(現在の山形県米沢市)に境内を構えていましたが江戸時代に入り、茂庭氏が当地に配されると、桃源院も随行に境内を構えました(現在も米沢市には桃源院が存続しています)。一国一城令により茂庭氏の居城である千石城が廃城となり、対岸に改めて上野館が設けられると、千石城の中腹部に境内を移しました。歴代茂庭家当主は毎年正月11日に菩提寺である石雲寺を参拝してから桃源院の古左月君之御影(茂庭良直像)を参拝するのが常だったと記録されています。山門は一間一戸、入母屋、本瓦葺、四脚楼門、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、上層部中央に花頭窓付。
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