嶺頭院: 楼門

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嶺頭院(長野県・箕輪町)

嶺頭院(長野県・箕輪町)概要: 嶺頭院は明応2年(1493)に福与城の城主藤原氏が台厳呑鏡和尚を招いて創建したと伝わる寺院です。藤原氏は千野光親(諏訪大社上社諏訪氏の一族)の子供である親貞が信濃国伊那郡藤沢に配され、地名から「藤原」姓を名乗ったのが始まりとされ、福与城を居城として当地域を治め、武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)の伊那侵攻にも天文11年(1542)以降3度に渡りこれを退けました。しかし、天文14年(1545)、武田方の猛攻により当時の城主藤沢頼親は開城に至り、嶺頭院もその兵火により衰微します。その後、頼親が永禄3年(1560)に田中城に本城を築くと嶺頭院も従いますが、天正10年(1582)に徳川家康方の保科正直に攻められ田中城は落城、頼親、頼広父子が自刃し藤原氏は没落、嶺頭院は再び庇護者を失っています。江戸時代に入ると三州街道とその宿場町である松島宿、行政機関である木下陣屋が整備されると、嶺頭院も現在地に境内を構え伊那代官から寺領6石が安堵され寺運を維持しました。山門は江戸時代後期の弘化元年(1844)に建てられたもので、三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺き、八脚楼門、上層部高欄付、下層部仁王像安置、箕輪町指定有形文化財に指定されています。

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