名 称 | 内 容 | 場 所 |
・泉龍院 | ○泉龍院は室町時代に諏訪大社大祝家の流れを汲み、当時の神之峰城の城主知久為行により創建された寺院です。戦国時代に武田信玄の侵攻により知久家本家は滅亡し、その兵火により泉龍院も大きな被害を受けて境内が荒廃しました。江戸時代に入ると再興され順次堂宇が再建されています。山門は文政元年(1818)の造営で三間三戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、施工は小松松四郎、豊丘村指定有形文化財に指定されています。
○泉龍院の楼門写真はこちら | ・長野県 ・豊丘村 |
・明音寺 | ○明音寺は戦国時代に松島城の城主である小笠原家が大仲霊乗大和尚を招いて創建した寺院です。江戸時代には朱印地4石を賜り、富小路家の祈願所になるなど繁栄し末寺5カ寺を擁しました。信州伊那諏訪八十八ヶ所観音霊場第五番札所。山門は江戸時代中期の享保3年(1718)の造営で、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、棟梁は丸山茂兵衛、箕輪町指定有形文化財に指定されています。
○明音寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・箕輪町 |
・嶺頭院 | ○嶺頭院は室町時代に福与城の城主藤原氏が台厳呑鏡和尚を招いて創建した寺院です。戦国時代に武田家との対立で福与城が落城すると、その兵火により衰微します。その後、藤原氏が田中城に本城を築くと嶺頭院も従い、江戸時代に入ると三州街道とその宿場町である松島宿、行政機関である木下陣屋が整備されると、現在地に遷されています。山門は江戸時代後期の弘化元年(1844)に建てられたもので、三間一戸、入母屋、銅瓦棒葺き、八脚楼門、箕輪町指定有形文化財に指定されています。
○嶺頭院の楼門写真はこちら | ・長野県 ・箕輪町 |
・清水寺 | ○清水寺は奈良時代末期に高僧として知られた行基によって深い山中に創建された古寺です。平安時代に入ると征夷大将軍として当地に蔓延る八面大王征伐の為に清水寺を訪れ戦勝祈願を行い、勝利を収めると、本尊を京都に持ち帰り、京都東山の清水寺を創建したと伝えられています。山門は享保11年(1726)に造営されたもので、一間一戸、寄棟、鉄板葺き、四脚楼門(元々は鐘楼門で、その後、上層部が仏堂に改修され、現在は仏像が本堂に移されています)、山形村指定文化財に指定されています。
○清水寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・山形村 |
・健命寺 | ○健命寺は野沢温泉の温泉街に位置し、戦国時代に本尊である薬師如来像を勧請して創建した寺院です。天正2年(1574)に雲洞庵(新潟県南魚沼市)の南堂正舜大和尚により曹洞宗に改宗開山しています。江戸時代に入ると寺領7石が安堵され寺運も隆盛しています。又、健命寺は当地の名産である野沢菜の発祥地とされ、江戸時代中期に晃天園瑞が京都から持ち帰った天王寺蕪の変種とも云われています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。
○健命寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・野沢温泉村 |
・永福寺 | ○永福寺は江戸時代中期に木曽義仲が篤く帰依した馬頭観音を勧請して創建された寺院です。その後、火災により堂宇が焼失して衰微しましたが、江戸時代末期に再興されています。山門は明治29年(1896)の建築で、三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、棟梁は立木音四郎種清、塩尻市指定有形文化財に指定されています。信州筑摩三十三カ所観音霊場第17番札所。
○永福寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・塩尻市 |
・慈雲寺 | ○慈雲寺は鎌倉末期に創建された寺院で、境内には日根野高吉の供養塔が建立されています。山門は江戸時代中期に造営されたもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚鐘楼門。
○慈雲寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・下諏訪町 |
・上宮寺 | ○上宮寺は新海三社神社の別当寺院(神宮寺)として往時は繁栄していました。鐘楼門は、入母屋、鉄板葺、一間一戸、梵鐘は長野県の県宝。
○上宮寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・佐久市 |