名 称 | 内 容 | 場 所 |
・定津院 | ○定津院は室町時代に当時の領主祢津信貞が帰依していた東林院(山梨県甲州市)の住職、拈笑宗英禅師を招いて創建した曹洞宗の寺院です。祢津氏は海野氏、望月氏と共に滋野三家として大きな影響力があった為、定津院はその菩提寺として寺運が隆盛しました。江戸時代に入ると、祢津領主となった松平家の庇護となり、境内背後の山中には初代松平忠節の正室である了照院縁の巨石があり「祢津お姫様巨石」として東御市指定文化財に指定されています。山門は江戸時代中期の安永2年(1773)に造営されたもので、三間三戸、入母屋、銅板葺き、八脚楼門。
○定津院の楼門写真はこちら | ・長野県 ・東御市 |
・宗吽寺 | ○宗吽寺が何時頃から信仰されているのかは判りませんが、当初は現在の上田城のあった付近に境内を構えていたそうです。上田城を築城するにあたり、境内が丁度、堀にあたる為に現在地に遷されました。歴代上田城の城主から祈願所として庇護され、特に江戸時代には藩主の参勤交代の出立日を占っていたと記録されています。山門は一間一戸、入母屋、銅板葺き、上層部が鐘撞堂となる鐘楼門。
○宗吽寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・上田市 |
・西念寺 | ○西念寺は戦国時代に信濃侵攻を果たした武田信玄が岌往上人を招いて創建した浄土宗の寺院です。武田家が滅ぶと、新たに小諸城(長野県小諸市)の城主として配された仙石秀久が庇護し、寺領の寄進や堂宇の造営が行われ、死没後は墓碑が建立されています。江戸時代に岩田村藩が立藩すると、藩主である内藤家の菩提寺となり、その庇護により信濃国浄土宗五か寺の宗派頭にもなっています。山門は三間三戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚楼門。
○西念寺の楼門写真はこちら | 長野県 ・佐久市 |
・妙見寺 | ○妙見寺は文治元年(1185)に、当地の豪族だった嶽石三郎平胤盛が完光和尚を招いて創建した寺院です。当初は法相宗の寺院で鳥屋にありましたが、鎌倉時代後期に小沢根、室町時代に現在地に移って真言宗に改宗しています。本堂外陣の天井絵は狩野派の秀山信尹が描いた2匹の龍で、龍の下で手を叩くと龍の鳴き声が聞こえる、所謂、鳴き龍天井(上田市指定文化財)とされ日光山、京都相国寺、青森竜泉寺と共に「日本四方鳴龍」と呼ばれました。山門は三間一戸、切妻、桟瓦葺、長屋門風楼門建築。
○妙見寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・上田市 |
・光前寺 | ○光前寺は平安時代の貞観2年(860)に慈覚大師の弟子の1人本聖上人によって創建された古寺です。古くから霊験が高く、戸隠神社、善光寺、武水別神社、津金寺と共に天台宗信濃五山に数えられ、南信州随一の霊場として発展しました。又、光前寺で飼われていた「早太郎」は霊犬として知られ、ある時、遠江の見附で妖怪が出現した際に、「早太郎」によって退治されたと伝えられています。三門は江戸時代後期に嘉永元年(1848)に造営されたもので、三間三戸、入母屋、こけら葺き、八脚2重楼門、駒ヶ根市指定文化財に指定されています。
○光前寺の楼門写真はこちら | ・長野県 ・駒ヶ根市 |