定津院(長野県・東御市)概要: 定津院は室町時代の宝徳元年(1449)に当時の領主祢津信貞が帰依していた東林院(山梨県甲州市)の住職、拈笑宗英禅師を招いて創建した曹洞宗の寺院です。祢津氏は海野氏、望月氏と共に滋野三家として大きな影響力があった為、定津院はその菩提寺として寺運が隆盛しました。戦国時代になると祢津氏は武田家に従い、その武田氏も天正10年(1582)に滅んだ為没落し、庇護者を失った定津院も衰退しましたが江戸時代に入ると、祢津領主となった松平家の庇護になっています。祢津松平家は徳川家康の異父弟である松平康元の嫡男松平忠良(大垣藩藩主)の庶長子松平忠節を祖とし信濃国小県郡3千石・佐久郡2千石を領する寄合に列っし祢津には陣屋が設けられています。境内背後の山中には初代松平忠節の正室である了照院縁の巨石があり「祢津お姫様巨石」として東御市指定文化財に指定されています。山門は江戸時代中期の安永2年(1773)に造営されたもので、三間三戸、入母屋、銅板葺き、八脚楼門、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、上層部には花頭窓、高欄付。寺宝である文明7年(1475)に製作された拈笑宗英像は東御市指定文化財に指定されています。
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