徳満寺(飯綱町)

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徳満寺(長野県飯綱町・北国街道・牟礼宿・楼門)

徳満寺(長野県・飯綱町)概要: 徳満寺は貞応2年(1223)、隼人了玄(父親の覚善は平家の一族で木曽義仲に敗れた後は隠遁しその後親鸞聖人の弟子となった。)によって設けられた草庵を前身としています。草庵は榮部安養道場と呼ばれる小規模なものでしたが、承応2年(1289)に正式に寺院として整備され徳満寺と号するようになりました。現在の山門は江戸時代中期の宝暦5年(1755)頃に造営されたもので、入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚鐘楼門、上層部は柱のみの吹き放し、高欄付。徳満寺の境内を流れる徳満寺用水は鳥居川から引き込んだもので、牟礼宿の水路となっていました。山号:清水山。院号:龍宮院。宗派:浄土真宗大谷派。徳満寺が境内を構える牟礼宿は北国街道の宿場町で、北国街道が全線開通する前年にあたる慶長15年(1610)に当時の信濃国川中島藩(後の松代藩)12万石の藩主松平忠輝は牟礼宿の町割りを命じ、宿場条目を発布して伝馬や宿送り等の特権を認めました。又、牟礼宿は加賀藩の藩庁が設置された金沢城と江戸藩邸との中間地点にあった為、加賀藩は「武州加州道中堺碑」を建立し参勤交代で牟礼宿に到着した際には金沢、江戸、両方に無事を伝える遣いが送られています。

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