西念寺: 楼門

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西念寺(長野県・佐久市)

西念寺(長野県・佐久市)概要: 西念寺は戦国時代に信濃侵攻を果たした武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)が岌往上人を招いて創建した浄土宗の寺院です。岌往上人は伊勢出身とされる室町時代の浄土宗の高僧で知恩院(京都府京都市東山区:浄土宗総本山)で厳しい修行を経て天文8年(1539)に岩田村に十王堂を設けて教義を広めていました。弘治元年(1555)、第二次川中島の合戦が行われた際、武田信玄が現在の中山道を進軍し和田峠に差し掛かった所で岌往上人に感化され本山開山の許可を得得ると、岌往上人は浄財を募り112人の信者から協力を得て、永禄3年(1560)に廃寺同然となっていた信楽院の境内に本堂を造営しました。岌往上人は武田信玄、武田勝頼の庇護により信濃国に40カ寺、甲斐国に24ヵ寺の寺院の再興や開山に携わり領内の浄土宗布教に大きく尽力しました。西念寺は武田家が滅ぶと、新たに小諸城(長野県小諸市)の城主として配された仙石秀久が庇護し、寺領の寄進や堂宇の造営が行われ、死没後は墓碑が建立されています。江戸時代に岩田村藩が立藩すると、藩主である内藤家の菩提寺となり、その庇護により信濃国浄土宗五か寺の宗派頭にもなっています。山門は三間三戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚楼門。

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