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神社山門: 粟鹿神社 |
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粟鹿神社![]() |
【 概 要 】−粟鹿神社は神話の時代に日子坐王を祭る為に創建された神社で、境内は日子坐王の墓域とされ古くから聖地として信仰の対象となりました。神功皇后が新羅遠征の際には戦勝祈願が行われ、念願成就すると社殿が造営されています。平安時代に成立した延喜式神名帳には格式の高い名神大社として記載され、但馬国では最高位だった事から但馬国一宮として国事の祭祀を司る立場となりました。ただし、粟鹿神社が一宮として認識されたのは室町時代以降の事で、それ以前は出石神社が一宮だったとされます。
【 場 所 】−兵庫県朝来市山東町粟鹿 【 構 造 】−切妻、銅板葺、一間一戸、四脚門・切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層 【 備 考 】−祭神である日子坐王(彦坐王)は「日本書紀」によると開化天皇と姥津命の妹である姥津媛命との間に生まれた皇子で、「古事記」によると開化天皇と日子国意祁都命の妹である意祁都比売命との間に生まれた第3皇子として記載されています。又、「古事記」では崇神天皇の勅命により丹波国に派遣され玖賀耳之御笠を討った事が記載されています。「丹後国風土記残欠」にも同様な記事があり、御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)の御代に丹後国の青葉山中に陸耳御笠と呼ばれる土蜘ノ者が居て、村人に対して悪さをした事から日子坐王が勅命により当地に来て是を討った事が記載されています。又、粟鹿神社の由緒上は日子坐王を四道将軍と紹介していますが「日本書紀」にはそのような事跡はなく子供である丹波道主命が四道将軍として丹波に派遣されとしています。さらに、粟鹿神社では社殿背後の円墳を日子坐王の墳墓としていますが、宮内庁では岐阜県岐阜市岩田西に鎮座している伊波乃西神社の境内の隣地にある墳墓を治定しています。
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