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神社山門: 廣峯神社 |
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廣峯神社![]() |
【 概 要 】−廣峯神社は天平5年(733)に当地を訪れた吉備真備が聖地と悟り、聖武天皇に報告し、勅命により天平6年(734)に創建した神社です。当初は白幣山に境内を構えていましたが、平安時代後期に現在地である広峰山頂に遷りました。格式が高く「日本三代実録」によると貞観8年(866)に従五位下に列しています。往時は社運も隆盛し大きな影響力がありましたが、その後衰微し江戸時代には社領72石にとどまっています。本殿は室町時代中期に建てられたもので国指定重要文化財に指定されています。
【 場 所 】−兵庫県姫路市広嶺山 【 構 造 】−入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚単層門 【 備 考 】−廣峯神社を創建したと伝わる吉備真備は吉備地方の有力豪族である吉備氏の一族下道圀勝の子供として生まれ、奈良時代の著名な学者として知られました。養老元年(717)には遣唐留学生として入唐し、唐では歴史や文学だけでなく天文学や音楽、兵学に到る様々な学問を学び天平7年(735)に帰朝しています。聖武天皇や光明皇后の寵愛を受けた事で出世を重ね要職を歴任するようになりました。しかし、天平勝宝2年(750)に政敵である藤原仲麻呂に敗れると、要職から外され筑前守や肥前守などに左遷されます。その後、遣唐副使として再び入唐するも、九州地方での役職が多く天平宝字8年(764)に造東大寺長官としてようやく帰京し、同年、宿敵だった藤原仲麻呂が反乱を起こし、それを平定した功により勲二等を授けられ、中納言、大納言を経て右大臣に昇進しています。吉備真備が白幣山を訪れたのが天平5年(733)、白幣山が霊地であると聖武天皇に報告し、廣峯神社が創建したのが天平6年(734)、一方、記録によると帰路では種子島に漂着した後に唐から帰朝したのが天平7年(735)なので、当地に訪れた可能性は否定出来ないものの、普通に考えると疑問の方が強い印象を受けます。一方、福山市新市町戸手に鎮座する素盞嗚神社の社伝によると天平6年(734)に、この素盞嗚神社から素盞嗚命の分霊を勧請し廣峯神社を創建したと伝えられているそうです。年号的には聖武天皇に報告せず、帰路の途中に備後に立ち寄り、直接白幣山に素盞嗚命を奉斎する祭祀施設を設けたとする方がやや信憑性があります。
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