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 神社山門: 小田井縣神社

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小田井縣神社

小田井縣神社(兵庫県豊岡市)
【 概 要 】−小田井縣神社は崇神天皇の在位期間に創建された古社です。平安時代に成立した延喜式神名帳に記載された式内社で古くから格式の高い神社として信仰されました。但馬国五社大明神の1つで南北朝時代には後醍醐天皇から正一位の神階を賜るなど社運も隆盛しました。戦国時代の兵火により社殿が焼失し、豊臣秀吉から神領が認められなかった事で衰微しましたが、江戸時代に入り再興されています。

【 場 所 】−兵庫県豊岡市小田井町

【 構 造 】−切妻、桟瓦葺、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−小田井縣神社の創建時の由緒は天延3年(975)に編纂された「但馬国司文書」の「但馬故事記」に依るものとされます。この「但馬故事記」は所謂「偽書」とされるもので、江戸時代中期以降に成立したと推定される事からそれ以前の由緒は特に取り扱いに注意が必要と云われています。しかし、小田井縣神社をはじめ多くの神社は偽書であるのにも関わらず「但馬故事記」に記載された記事をそのまま採用する例が多く、市町村が発行する史書や観光パンフレットなども精査する事なく載せている為、既成事実化している例も多いようです。小田井縣神社の由緒上は仁寿元年(851)7月27日 正六位を授かったとされますが、自分が調べた限りでは、そのような資料がなく、貞観10年(868)12月27日 従五位上に授かったとされますが、三代実録の貞観10年(868)12月27日には「授但馬国従五位上出石神。粟鹿神並正五位下。従五位下山神。戸神。雷神。蜀椒神。海神並従五位上。」とあり、小田井縣神社を示すものはありません(もしかしたら、配祀されている大海童神を海神と見立ているのかも知れませんが、如何にも不自然です?)。鎌倉時代の弘安年間(1278〜1287年)に但馬国守護の太田政頼の命で編纂された「但馬太田文」に小田井社々領三十一町三反余とあり、「小田井社」を当社としているようですが、延喜式神名帳では「縣神社」となっている為、同義では無い可能性もあります。結局、良く判らな事が多く、祭神も国作大己貴命となっていますが、平安時代初期の弘仁6年(815)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑である「新撰姓氏録」の大和国神別に縣使首として「宇麻志摩遅命の後なり。」との一文がある事から元々、縣神社は宇麻志摩遅命が祭られていたような印象を受けます。個人的には式内社だった縣神社は一端廃社となり、何らかな都合により中世以降に台頭した小田井社に合祀され、小田井縣神社が創設されたのではないかと思います。

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