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神社山門: 春日神社 |
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春日神社 |
【 概 要 】−春日神社は貞観年間に領主藤原氏が氏神である春日大神を祭る社を設けたのが始まりとされます。創建時には現在の篠山城の本丸付近に境内を構えていましたが、江戸時代に入り篠山城が築かれると現在地に遷されました。その後は歴代篠山藩主から信仰の対象となり、江戸時代末期には藩主青山家から能舞台(国指定重要文化財)が造営されています。
【 場 所 】−兵庫県篠山市黒岡 【 構 造 】−切妻、本瓦葺、三間一戸、八脚単層門 【 備 考 】−春日神社を創建した藤原基経、藤原時平父子とされます。藤原基経は中納言藤原長良の3男として生まれ、幼少の頃から優秀だった事から叔父である藤原良房の養子となり仁寿元年(852)に元服すると出世を重ねました。貞観14年(872)に摂政で養父だった良房が死去すると基盤を継いだ為、朝廷内でも大きな権力を有するようになり、実妹である藤原高子が清和天皇の女御として第一皇子の貞明親王の生母となり、貞観18年(876)に陽成天皇(貞明親王)に譲位すると幼少だった事から基経が摂政として実務を携わるようになりました。元慶6年(882)、陽成天皇が元服すると意見の対立が顕著となったとされ一時自邸に引きこもりますが、時康親王(光孝天皇)を擁立し即位させると事実上の関白となり実権を握りました。宇多天皇の御代になると正式に初代関白となり引き続き実権を握り続きました。 藤原基経は天安2年(858)に播磨介に就任している事から、まんざら播磨国(兵庫県)と関係が無い訳でもなく、当社の境内が属する多紀郡日置荘が基経の所領だったとされる事から春日神社を創建した可能性もあります。又、春日神社は貞観18年(876)に創建されたとされますが、藤原時平は貞観13年(871)に生まれている為、創建に関わったとするのは無理があります。
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