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神社山門: 出石神社 |
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出石神社 |
【 概 要 】−出石神社が何時頃から祭られているのかは判りませんが、平安時代に成立した延喜式神名帳には格式の高い名神大社として記載され、但馬国では最高位に列格した為、但馬国一宮として国事の祭祀を司りました。戦国時代の兵火で社殿が焼失し、庇護者だった山名氏が没落した事で衰微しましたが、その後再興され、江戸時代には歴代出石藩主から崇敬庇護されました。社宝である脇差は国指定重要文化財に指定されています。社殿は大正時代に再建されたもので豊岡市指定文化財に指定されています。
【 場 所 】−兵庫県豊岡市出石町宮内 【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門 【 備 考 】−出石神社の祭神である天日槍は新羅国王の皇子とされます。古事記によると、新羅国に「阿具奴摩」という沼があり、一人の卑しい女性が昼間から眠っていました。すると女性の陰部に神々しい光が突き刺さり、不思議な事に妊娠し赤玉を出産しました。その光景を見ていた卑しい男は赤玉をもらい受け常に腰に身に着けていました。男は谷に畑を耕作し食料を牛に乗せる事を生業としていましたが、たまたま出会った天之日矛にその事を咎められ、さらに牛を殺して食すだろうと嫌疑を受け捕縛しようとしました。男は誤解を解こうと説明したものの、許されなかった事から赤玉を差し上げると、天之日矛は男を許し、そのまま赤玉を持ち帰り床に置きました。すると、その赤玉は美少女に姿を変えた事から、天之日矛は正妻としました。当初は仲睦まじく、妻は多くの種類の料理を作り夫に食べさせていましたが、天之日矛が増長するようになると妻に対して罵るようになり、遂に妻は小船に乗って故郷である難波に帰ってしまいました。この女神こそ難波に鎮座している比売碁曽社の祭神である阿加流比売です。天之日矛は妻を追いかけ難波に迎いましたが、到着する直前に浪速の渡の神が進行を遮った為到着する事が出来ませんでした。仕方なく、引き返す事になりその途中に但馬国に到着しました。天之日矛はそのまま但馬国に留まり多遅摩之俣尾の娘である前津見と契りを結び、多遅摩母呂須玖を儲けました。・・・・天之日矛が持ち込んだ物は「玉津宝」と呼ばれるもので珠緒がふたつ、波を起こすヒレ、波を鎮めるヒレ、風を起こすヒレ、風を沈めるヒレ、沖の鏡、辺の鏡、合計8種。これは伊豆志神社の八座の大神です。 出石神社は平安時代に成立した延喜式神名帳に名神大社として記載され「伊豆志坐神社八座」と表記されている事から、古事記でいう8種神器がそれぞれ神として祭られ「伊豆志之八前大神」と呼ばれていた事と符合しています。上記の伝説、逸話は細かな点で差異があるものの同じような内容が多くの文書に記載されています。当然、話の内容から神話の域を出ませんが、何らかな事実関係を現わしているとも云われています。出石神社で言えば、奉斎した民は朝鮮半島からの渡来人かその一族で(出石族)、朝鮮から持ち込まれた8種類の神器を祭神に見立てて祭祀場を設けたものが前身である可能性があります。
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