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神社山門: 生田神社 |
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生田神社 |
【 概 要 】−生田神社は神功皇后が朝鮮半島に侵攻を完遂し凱旋帰国した際に神戸港に寄航すると、稚日女尊が出現し当地に祭るように告げた事を受けて創建された神社です。当初は布引山に鎮座していましたが、平安時代初期に大洪水により境内が流され、現在地に再建されました。貞観元年に従一位に列し、延喜式神名帳では名神大社に列格しました。災害が多く、神戸大水害、神戸大空襲、阪神・淡路大震災で大きな被害に何度もあっています。
【 場 所 】−兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目 【 構 造 】−入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門 【 備 考 】−生田神社の祭神である稚日女尊は「日本書紀」の天岩戸神話に登場する神です。稚日女尊が高天原(天津神が住んでいる世界)にある斎服殿(天津神の召す衣を、織るための建物)で神衣を織っていた際、スサノオ(天照大神の弟)が馬から皮を剥ぎ取り稚日女尊に向かって投げ捨てた為、驚いた稚日女尊は椅子から転げ落ち、織機の付属用具の「梭」が体を傷つけ死んでしまいました。稚日女尊の死を知った天照大神は嘆き悲し、スサノオに抗議の意味も込めて天岩戸に御隠れになっています。 神功皇后が三韓征伐を終え凱旋帰国している際、船が全く進めなくなり難波の港(現在の大阪港)に着く事が出来なかった為、武庫の港(現在の神戸港)に戻って占ったところ、稚日女尊が出現し「吾、活田長峡國に居らまく欲す」と御告げがあった為、御告げに従い海上五十狭茅に祭らせると無事に難波の港に着く事が出来たそうです。この時の奉斎施設が生田神社の前身とされます。神功皇后の実在性が疑問視されている以上、上記の神話がどの程度真実味があるのかは判りませんが、個人的には旧境内地だった布引山には日本三大神滝のひとつに数えられている布引の滝や、布引渓流で採水された水は「腐らない水」である事など古代から信仰の対象となりその祭祀施設が生田神社の前身だったのではないかと思います。日本神社100選。
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