玉村八幡宮: 楼門

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玉村八幡宮(群馬県・玉村町)

玉村八幡宮(群馬県・玉村町)概要: 玉村八幡宮は建久6年(1195)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝の命により上野奉行安達藤九郎盛長が鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の祭神の分霊を勧請し創建された神社です。足利満兼や白井長尾氏など歴代領主から庇護され社領の寄進や社殿の造営が繰り返されました。江戸時代初期の慶長15年(1610)に現在地(中世の環濠屋敷跡、堀の一部が残る。)に遷座し、当地が前橋藩領になると藩主である酒井家から庇護され、徳川将軍家からも社領30石が安堵されていました。又、境内は江戸時代初期に中山道倉賀野宿(群馬県高崎市)と日光東照宮(栃木県日光市)を結ぶ日光例幣使街道の宿場町として成立した玉村宿の一角に位置していた事から、街道を利用した旅人や商人等が道中安全を祈願し大いに賑わったそうです。明治時代の神仏分離令を受け、別当寺院だった神宮寺と分離し、最終的には県社に格付けられています。随神門は江戸時代末期の慶応元年(1865)に造営されたもので三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、上層部両側に象眼窓(象眼窓は仏教色の強い意匠)、高欄付、下層部に「随神門」の扁額が掲げられています。棟梁は越後国中之嶋出身の浅野喜内藤原長正、彫物師は武蔵国玉井村出身の小林槽次郎榮次郎。玉村八幡宮隨神門(楼門)及び棟札2枚(文化15年:1818年・慶応元年:1865年)、附:隨神門大修繕略記1枚(明治33年:1900年)は平成28年(2016)に玉村町指定文化財に指定されています。

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