長野県の楼門建築4

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名 称
内   容
場  所
・玄照寺○玄照寺が何時頃から信仰されていたのかは判りませんが、戦国時代には既に荒れ果てていたようです。天正年間に高坂弾正虎綱(武田家の家臣)の家臣である加藤杢右エ門が為岸慶祐和尚を招いて再興し、元禄17年(1704)に現在地に境内を遷しています。山門(三門)は寛政11年(1799)に造営したもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、小布施町指定文化財に指定されています。

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・長野県
・小布施町
・龍雲寺○龍雲寺は鎌倉時代末期に、当時の領主大井玄慶が浄学天仲国師を招いて創建した曹洞宗の寺院です。戦国時代の兵火により焼失し文明17年に天英祥貞により再興され、天台宗から曹洞宗へと改宗しています。武田家が信濃に侵攻すると庇護となり、特に武田信玄が名僧として知られた北高禅師(雲洞庵の住職)を招き篤く帰依した為、佐久郡の曹洞宗寺院の総禄所の格式を得て、武田家の祈願所となっています。又、伝承によると武田信玄が三河侵攻の最中に病死した際、信玄の遺体が龍雲寺に葬られたと伝えられています。山門は三間三戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚2重楼門。

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・長野県
・佐久市
・貞祥寺○貞祥寺は戦国時代に伴野貞祥が祖父と父親の供養の為に創建した伴野家の菩提寺です。伴野家が没落後は蘆田城主依田康真、江戸時代に入ると小諸藩主に庇護され、徳川将軍家からは寺領15石を安堵されています。寺運も隆盛し最盛期には末寺12ヶ寺を擁する大寺院となっています。現在でも境内には七堂伽藍が残されており、特に、三重塔、山門、総門は貴重な古建築物として長野県の県宝に指定されています。山門は江戸時代前期の寛文12年(1672)に造営されたもので、三間一戸、入母屋、茅葺、八脚楼門、増長天、持国天が安置されています。

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・長野県
・佐久市
・自成寺○自成寺は永正3年(1506)、勝見城の城主だったと思われる伴野自成が最乗寺(神奈川県南足柄市)の僧である俊庵麟英和尚を招いて創建した曹洞宗の寺院です。甲斐武田家が篤く帰依し、永禄4年(1561)には武田信玄が陣鐘を寄進し、本堂には武田家3代の位牌が祭られています。山門は江戸時代中期の元禄11年(1698)に造営されたもので、三間一戸、入母屋、鉄板葺、八脚楼門、佐久穂町指定有形文化財に指定されています。

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・長野県
・佐久穂町
・安養寺○安養寺の創建は鎌倉時代に心地覚心によって開山した事が始まりとされます。その後、荒廃しましたが、南北朝時代に正眼智鑑禅師によって現在地に再興されています。当地の地頭で長く領主として君臨していた大井氏の菩提寺として庇護され、後に鎌倉公方5代となった足利成氏を匿った功により寺領3千5百石が寄進されました。戦国時代には武田家から庇護されて武田信玄からは寺領526石や版本大般若経などが寄進されました。山門は三間三戸、入母屋、鉄板葺、八脚楼門。

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・長野県
・佐久市
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