名 称 | 内 容 | 場 所 |
・蕃松院 | ○蕃松院が何時頃から信仰されていたのかは判りませんが、戦国時代には既に存在し、武田家の庇護になっていました。天正8年(1580)、儀山げん孝大和尚が再興し、曹洞宗に改宗、さらに、小諸城の城主松平康国が父親の菩提寺として庇護しました。江戸時代に入ると、当地は奥殿藩の飛地だった為、藩主大給松平家の庇護となり、歴代大給松平家の位牌が安置されました。江戸時代末期には藩庁を奥殿から龍岡城五稜郭に移した為、事実上の菩提寺となっています。山門は明治時代初期の造営で、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚2重楼門。
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・八幡神社 | ○八幡神社は中山道八幡宿に位置し、平安時代の貞観元年(859)、滋野貞秀が創建した古社です。境内地は望月氏の居城である望月城の鬼門方向にある為、歴代望月氏の崇敬社として庇護されました。江戸時代に入ると小諸藩領になった為、歴代小諸藩主が庇護し、社領の安堵や社殿の営繕工事などが随時行われています。随神門は天保14年(1843)、小諸藩9代藩主牧野康哉が造営したもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚楼門、佐久市指定文化財に指定されています。
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・観音寺 | ○観音寺は大同元年(806)に開かれた古寺です。その後、衰退し、僧侶である珍永に室町時代末期に再興されています。境内には平田篤胤門下で贄川出身の国学者小澤重喬の墓が建てられています。山門は江戸時代後期に造営されたもので三間一戸、入母屋、銅板葺き、八脚鐘楼門、塩尻市指定有形文化財に指定されています。
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・法華寺 | ○法華寺は諏訪大社上社本宮の神宮寺とされ、古くから神仏習合の信仰が行われていました。戦国時代に行われた織田家による信州、甲斐侵攻で武田家が滅亡した際には、法華寺で論功行賞が行われ歴史の舞台となっています。江戸時代の元禄赤穂事件の際には吉良家が改易になった為、吉良上野介の養子である吉良義周(米沢藩4代藩主上杉綱憲の次男)が高島城の南之丸に幽閉となり、死没後、法華寺の境内に葬られ墓碑(諏訪市指定史跡)が建立されています。往時は寺運も隆盛し五重搭など七堂伽藍が整備されていましたが、明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈により多くの堂宇が破却されました。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺き、八脚楼門、木部朱塗り。
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・教念寺 | ○教念寺は室町時代後期に教譽淨念によって創建された浄土宗の寺院です。絹本著色羅漢像(国指定重要文化財)や観経変相曼陀羅(諏訪市指定有形文化財)、金銅善光寺仏脇士仏(諏訪市指定有形文化財)、阿弥陀如来来迎図(諏訪市指定有形文化財)、紙本著色当麻曼陀羅図(諏訪市指定有形文化財)などの寺宝を所有しています。山門は明治時代の建物で三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。
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