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 神社山門: 八幡神社

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八幡神社

八幡神社(宮城県角田市角田)
【 概 要 】−八幡神社が何時頃から祀られていたのかは判りませんが、石川氏の崇敬社でした。当初は現在の福島県石川郡に鎮座していましたが、慶長3年(1598)に石川氏が当地に配された際に現在地に遷座しました。楼門(神社山門)は江戸時代末期に建てられた古建築物で角田市指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−宮城県角田市角田字牛舘

【 構 造 】−入母屋、鉄板葺き、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−当社の前身である石都々古和気神社(福島県石川郡石川町下泉)の境内である八幡山の山頂には岩肌が露出し奇岩怪石が点在している事から古代から信仰の対象となりそれらを磐座と見立てた祭祀場だったと推定されています。平安時代に成立した延喜式神名帳に名神大社として記載されている都都古和気神社の論社でもあり古くから信仰されていた事が窺えます。石川氏は源頼親の子供である源頼遠が永承6年(1051)に前九年合戦に従軍し厨川柵攻略戦で討死、跡を継いだ源有光はその後の指揮を任され大功を挙げ康平6年(1063)に陸奥国石川郡を与えられ地名に因み「石川」姓を名乗ったのが始まりとされます。有光は八幡山に居城となる三芦城(石川城)を築城、都都古和気神社は城の鎮守社となり、治暦2年(1066)に源氏の氏神である石清水八幡宮(京都府八幡市)の分霊が勧請合祀されました。石川氏は長く石川郡周辺を支配していましたが、戦国時代に入ると伊達家の影響下に入り、天正18年(1590)の小田原の役の際に伊達政宗に同調し参陣を怠った為改易となり伊達家の家臣に組み込まれました(政宗は事実上抜け駆けし参陣した事で改易を免れています)。慶長3年(1598)、当時の当主である石川昭光は政宗の命により伊具郡角田(現在の宮城県角田市)1万2千石で移封となり、石都々古和気神社から八幡神の分霊を勧請し当社を創建しています。

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