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 神社山門: 須岐神社

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須岐神社

須岐神社(宮城県黒川郡大衡村)
【 概 要 】−須岐神社が何時頃から祀られているのかは不詳ですが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている古社で、神名帳には黒川郡で4社しか記載されていない事から当時から格式の高い神社だった事が窺えます。江戸時代に入ると仙台藩の藩主伊達家の祈願所となり、延享3年(1746)には6代藩主伊達宗村が病気平癒の祈願が行われています。

【 場 所 】−宮城県黒川郡大衡村駒場下宮前

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−享保4年(1719)に仙台藩の儒学者及び絵師である佐久間洞巌が編纂した奥羽観蹟聞老志巻之八の黒川郡の条には赤崎社として「在駒場村後鳥羽帝建久二年児玉弥太郎重成者所建未詳所祭何神也 」の記載があり、江戸時代中期には既に由緒が成立していた事が窺えます。須岐神社を現在に遷座した児玉弥太郎重成は当地の地頭だったという説が有力なようなですが「吾妻鏡」などによると当地域には東氏や渋谷氏、大掾氏、四方田氏、狩野氏が地頭として下向した事が記録されているものの、児玉氏の姓を見る事が出来ず、児玉党の系図の中にも弥太郎重成の名前を見る事は出来ません。他の資料では児玉氏が地頭職だったとの記載がある事から、児玉氏は地頭だったものの当地の直接的な支配は無く、代官などが采配していた可能性があります。又、延宝年間(1673〜1681年)に編纂された「仙台領古城書上」によると駒場村にあった小屋城には天正年間(1573〜1593年)に児玉右近と児玉苗惣九郎が2代に渡って城主だった事が記載されている事から児玉氏は長く当地の支配層だった事が窺えます。さらに、大森村にあった中楯城も児玉安芸が天正年間(1573〜1593年)まで5代に渡って城主だった事が記載され一族が一定以上の勢力を保持していた可能性もあります。以上の事から察すると、児玉氏は鎌倉時代に当地の地頭だったものの、直接支配となったのは室町時代以降で、須岐神社が当地に遷座したのも領内を整備した際に行われたと考えるのが無難と思われます。

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