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 神社山門: 吉岡八幡神社

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吉岡八幡神社

吉岡八幡神社(宮城県黒川郡大和町)
【 概 要 】−吉岡八幡神社が何時頃から祀られていたのかは判りませんが、当初は飯坂氏の氏神だったとされ、飯坂氏が国分松森に配されると八幡神社も松森に遷座します。その後、伊達政宗の三男伊達宗清が飯坂氏の名跡を継ぎ、宗清が吉岡に配されると現在地に遷座し社殿が造営されました。以後、吉岡八幡神社は近隣11カ村の総鎮守、文化14年(1817)以降は黒川郡の総鎮守として広く信仰を集め社運も隆盛しました。境内には江戸時代中期に建てられた随神門(神社山門)が現存しており象徴的な存在となっています。

【 場 所 】−宮城県黒川郡大和町吉岡町裏

【 構 造 】−入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−飯坂氏は伊達宗家初代当主である伊達朝宗の4男伊達四郎為家が飯坂の地に配され、4代伊賀守政信が地名に因み「飯坂」姓に改めたのが始まりとされます。以来、飯坂氏は飯坂城を居城とし、天正17年(1598)に14代飯坂右近将監宗康が死去するまで飯坂周辺を支配しました。当社の前身と思われる飯坂城の城下町に鎮座する八幡神社は、由緒によると天喜4年(1056)に後三年合戦の際に源義家が飯坂近くまで進軍した際、白雲が棚引く地を見つけた事から霊地と悟り八幡神を勧請し戦勝祈願をしたと伝えられています。その後、平安時代末期の養和元年(1181)に大島城の城主佐藤庄治基治が改めて宇佐八幡宮(大分県宇佐市南宇佐)から分霊を勧請し社殿の造営を行っています。その後は飯坂氏が庇護したと思われますが由緒ではいきなり江戸時代中期に飛んでいる事から、飯坂氏が八幡神社を遷した為、庇護者が失われ衰微したのかも知れません。

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