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 神社山門: 八雲神社

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八雲神社

八雲神社(宮城県柴田町入間田)
【 概 要 】−八雲神社は文治5年に水原平兵衛重氏によって創建された古社です。伝承によると、水原氏の主人である鈴木三郎重家(源義経の家臣)が衣川の戦いで討死した際、鈴木家の氏神である牛頭天王の御神体を預けられ、当地に祀ったのが始まりとされます。江戸時代に入ると仙台藩主伊達家の祈願所として庇護され社運も隆盛しています。例祭に奉納される榊流神楽は柴田町指定無形文化財に指定されています。

【 場 所 】−宮城県柴田郡柴田町入間田古内

【 構 造 】−寄棟、鉄板葺き、五間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−鈴木三郎重家は紀州熊野穂積氏の嫡流である藤白鈴木氏の当主で、幼少だった源義経が熊野を訪れた際は鈴木家に滞在したとされます。成長した義経が源氏の棟梁で兄である源頼朝に従い挙兵すると、その陣に馳せ参じ、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いなどに従軍し大功を挙げました。平家が滅亡すると、頼朝から甲斐国の一部が与えられていましたが、義経が公然と頼朝に反旗を翻した事で追討される事になり奥州藤原氏を頼り平泉に下向しています。重家も義経の身を案じ、罪を覚悟に平泉を目指しましたが途中で捕縛され頼朝の前で義経の罪の弁明したとされます。その後放逐されると平泉で義経と合流、しかし、文治5年(1189)に保護者であったはずの藤原泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経の居館である奥州高館の衣川館に兵を差し向けた事で、館は落城し重家も自害して果てたそうです。鈴木三郎重家は藤白鈴木氏の当主で熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭祀を司る熊野別当だったと想定される為、重家の氏神は熊野大神と思われますが何故か当社の由来では祇園牛頭天王となっている事から、八雲神社を創建し重家の家臣とされる水原平兵衛重氏の氏神だったのかも知れません。

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