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 神社山門: 登米神社

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登米神社

登米神社(宮城県登米町寺池道場)
【 概 要 】−登米神社は天喜年間に源頼義が辺室山に御神体を安置し、康平5年に源義家が石清水八幡宮(旧男山八幡宮:京都府八幡市)の分霊を勧請して創建した古社です。中世、長く当地を支配した葛西氏が守護神として篤く信仰した事で社運が隆盛し、天正18年に葛西氏が没落後は登米伊達氏が庇護し慶長11年に寺池道場山麓に遷座し、享保7年に現在地に遷座しました。境内には5代伊達村直縁の随神門(神社山門)をはじめ鐘突堂などがあり神仏習合時代の名残が見られます。

【 場 所 】−宮城県登米市登米町寺池道場

【 構 造 】−切妻、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−葛西三郎清重は中世から戦国時代にかけて当地域を支配した葛西氏の祖とされる人物で、豊島清元の子供として生まれたましたが、下総国葛西御厨(東京都葛飾区)に配された為、地名に因み「葛西」姓を名乗りました。平安時代末期の源平合戦では源頼朝に従い各地を転戦し、文治5年(1189)の奥州合戦でも大功を挙げ頼朝の側近としての地位を確立しています。清重は奥州総奉行として奥州の御家人を統率する立場となり胆沢郡、磐井郡、牡鹿郡の3郡を領する大身御家人となり幕政でも大きな役割を担いました。葛西氏の最初の本拠地は宮城県石巻市の日和山城で、何時頃本拠を寺池城(宮城県登米市登米町寺池)に遷したのかは不詳、由緒のように清重が登米神社の前身である八幡宮を崇敬した可能性は低いと思われます。葛西氏が大きく版図を広げたのは南北朝時代以降なので、登米郡が領地化したのもその頃と推定すると、葛西氏が寺池城を築いた際、城内に鎮座していた八幡宮を城の鎮守社として信仰したと考えるのが無難かも知れません。

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