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 神社山門: 竹駒神社

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竹駒神社

竹駒神社(宮城県岩沼市稲荷町)
【 概 要 】−竹駒神社は承和9年に小野篁によって創建された古社で、別当寺院だった竹駒寺は平安時代後期に能因によって創建されています。戦国時代の兵火で一時衰退しましたが、江戸時代に入ると仙台藩主伊達家によって庇護され江戸時代中期には5代藩主伊達吉村が社殿を造営しています。竹駒神社は日本三大稲荷に数えられる場合もあります(諸説有り)。

【 場 所 】−宮城県岩沼市稲荷町

【 構 造 】−入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−竹駒神社を創建したと伝わる小野篁卿は陸奥守だった小野岑守の子供で、順調に出世を繰り返し、承和元年(834)には遣唐副使となり2回に渡り渡唐を試みますが何れも失敗、承和5年(838)の3回目では上司が乗船した船が漏水して篁の船に乗り込んできた事で抗議の意味で下船、その後も批判的な態度を改めない事が問題視され嵯峨上皇の命により官位や役職が剥奪され隠岐へ流罪となっています。承和7年(840)に許されると再び官位が与えられ、要職にも復帰、最終的には参議左大弁従三位が与えられています。竹駒神社の由緒によると承和9年(842)に小野篁が陸奥守に赴任している際に創建した事になっていますが、現在知られる資料の中では歴代陸奥守にその名を見る事は出来ません。ただし、小野岑守と坂上当道の就任期間は44年間と長期間である事からその間に複数人居た可能性は高く全く荒唐無稽な話でありませんが、知られている経歴でも伝承でした伝わっていません。そういう意味では福島県小野町には小野篁の居館と伝わる館跡や、茨城県稲敷市には常陸国司小野篁が創建したと伝わる逢善寺がありますが、こちらも伝説の域を出ません(歴代常陸国司にも小野篁の名前を見る事は出来ません)。又、小野篁は百人一首に名を連ねる著名な歌人として知られますが陸奥を題材とした歌は見られない事からも当地に赴任したのかは疑問があります。さらに言うと篁は隠岐の島の流罪が許された後に正5位下に復位している事から、陸奥守は従五位上の官位相当にあたる為、身分的には釣り合いが合わず矛盾し、これを事実と捉え左遷されたという説もあります。

当地に伝わる伝説によると、小野篁は陸奥守に就任し国府が置かれている多賀城(宮城県多賀城市)に赴任する前、城州紀伊郡伊奈利山(京都府京都市伏見区深草藪之内町:伏見稲荷大社)に詣で、国家鎮護を祈願すると白狐が出現したので函に入れ陸奥国に下向しました。名取郡南長谷村の橋に差し掛かった際、函の中から白狐が8回鳴いた事から小野篁は不思議に思い函を開けると、白狐は函から飛び出し武隈の林に姿を消しました。小野篁は武隈の林が聖地と悟り竹駒神社を創建したそうです。長谷村の橋はこの伝説から「八聲橋」と呼ばれ、現在は訛って「弥五郎橋」になったと伝えられています。

竹駒神社より南に位置する亘理郡亘理町長瀞に境内を構える尊久老稲荷神社にも関係深い伝説が伝えられています。伝説によると、陸奥守に就任した小野篁が当地に巡視に赴いた際、道に迷い難儀していると、一人の童が出現し目的地である亘理長瀞まで導いてくれました。すると、童は「私はこの緑深い山奥に住んでいます。」と言って黒狐に姿を変え姿を消しました。篁は黒狐に感謝し祠を設けて篤く祭ったと伝えられています。又、竹駒神社の白狐と、尊久老稲荷神社の黒狐は夫婦になったとも云われています。

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