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神社山門: 多賀神社 |
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多賀神社 |
【 概 要 】−多賀神社は景行天皇28年に日本武尊によって創建された古社です。格式も高く雄略2年には圭田が寄進され、延喜式神名帳に式内社(多加神社)として記載されていました(明治時代に論争があり富沢の多賀神社が式内社、当社を社地としています)。
【 場 所 】−宮城県名取市高柳字下西 【 構 造 】−切妻、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門 【 備 考 】−多賀神社は当社意外に仙台市太白区富沢にもあり、度々、本社争いになったそうです。創建年は当社が景行天皇28年、富沢が景行天皇40年に日本武尊により勧請された事になっています。日本武尊が実在していたのかは判りませんが、記紀を尊重すると景行天皇12〜14年頃に生まれた事になり、16歳で九州熊襲征伐に出征、景行天皇40年に東国平定の為に出征し、平定後、伊吹山の荒ぶる神に返り討ちとなり、その傷が遠因となり能褒野で亡くなったとされます。その為、東国での日本武尊の伝説は景行天皇40年や41年が多く、富沢の多賀神社もこれに当てはまります。逆に当社の年号では九州征伐の期間中に創建した事になりかなり無理があります。しかし、日本書紀と古事記とでは記述が異なる点も多く、もし、日本武尊が実在するとしたら概ね4世紀から5世紀頃の実績が想定される為、そもそも創建年は当てにならないとも言えます。
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