徳島県: 城郭建築

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 徳島県:城郭建築一覧
市町村 城名 名称 現在 概要 備考
徳島市 一宮城 城門 清水寺 移築城門:切妻、桟瓦葺
小松島市 平島館 御殿 地蔵寺 玄関(唐破風、本瓦葺)、書院 県指定
阿南市 平島館 不明門 信行寺 山門:切妻、本瓦葺、一間一戸、薬医門
阿南市 平島館 不明門 吉祥寺 山門:切妻、瓦葺、一間一戸
           
           
           
 平島館−城郭建築概要
平島館は前身である藤原清兼の居館だった平島壘を修築したとされます。天文3年(1534)、足利義維(義冬:室町幕府第11代将軍・足利義澄の次男)が政争に敗れ、阿波守護・細川之持の庇護下、足利氏と縁の深い天龍寺(京都府京都市)領の阿波国平島庄赤池に境内を構えた西光寺に入り、平島壘を修築後に平島館を居館としています。義維は将軍になる事が出来ませんでしたが長男である義栄は三好三人衆や松永久秀等から擁立され室町幕府14代将軍に就任を果たしています。しかし、義栄は織田信長に擁立された足利義昭との政争に破れ已む無く平島館に戻り病死したと伝えられています。館は苅屋川から支流を引き込み堀とし、約110m四方に塀を巡らしたもので内部は足利将軍家縁の名族に相応しい御殿や馬場、弓場、庭園を備えたもので「御所」や「公方館」などの別称がありました。当初は3千貫(7〜8千石?)が安堵されていましたが、江戸時代に入り蜂須賀家政が入封し徳島藩を立藩すると100石に減じられ、さらに4代足利義次を平島又八郎に改名させるなど冷遇が続きました。一般的に徳川将軍家は源氏の一族を自称し征夷大将軍になった経緯から源氏関係者に対しては厚遇される傾向があり、平島足利家は例外といえます。それでも江戸時代中期以降は1千2百石程度まで回復し文人墨客などや京都の高家などとも交流も活発となりました(当地方の漢文学の拠点となった)。特に9代足利(平島)義根は平島館の敷地内に栖龍閣を設けて儒学者の島津華山を召き地域の文化興隆や教育に尽力し、著作物である「栖龍閣詩集」は阿南市指定文化財に指定されています。文化2年(1805)、義根が当地を離れ京都に上ると(理由は不詳)、平島館は廃され、現在は跡地は阿南市立阿波公方・民俗資料館となっています。平島館の遺構は地蔵寺(小松島市)に書院と玄関(両建物とも徳島県指定文化財)、信行寺(阿南市)と吉祥寺(阿南市)には山門として移築現存しています。
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