神奈川県: 城郭建築

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 神奈川県:城郭建築一覧
市町村 城名 名称 現在 概要 備考
藤沢市 松代城 書院 龍口寺 入母屋、本瓦葺
厚木市 萩野山中陣屋 陣屋門 福伝寺 切妻、銅板葺
小田原市 小田原城 城門 民家 切妻、桟瓦葺
中井町 小田原城 幸田門 民家 切妻、桟瓦葺 町史跡
平塚市 中原御殿 裏門 善徳寺 切妻、茅葺
           
           
           
 萩野山中陣屋−城郭建築概要
天明3年(1783)、松長藩主である大久保教翅が当地に陣屋を設けた事で山中藩が立藩しました。山中大久保家は小田原藩第5代藩主大久保忠朝の2男教寛を家祖とし、その後加増され1万1千石(最終1万3千石)をもって大名となりました。当初は駿河国駿東郡松長村(静岡県沼津市)の領地があった事から松長村に陣屋を構えていましたが加増や領地替えなどで現在地に陣屋を移した方が支配し易く、江戸に近く参勤交代に有利になる事などから計画されました。山中藩は大久保教翅、教孝、教義の3代が藩主を歴任し幕末の慶応3年(1867)には薩摩藩の倒幕派の浪士から襲撃され陣屋が炎上する事件が起こっています。明治4年(1871)の廃藩置県により山中藩は廃藩となり、陣屋も廃され施設も破却されました。陣屋は若干の高台に築かれ、南東方向に流れる萩野川が天然の堀に見立て四方を土塁で囲んでいました。内部は中央に藩主御殿、藩庁(役所が置かれ)、南側に表門、北側に裏門、北東の鬼門方向には鎮守社である稲荷社を勧請、その他には役宅、長屋、蒸籠小屋、物置、矢場、馬場、井戸、清水などが設置されました。現在跡地は公園として整備され、稲荷社は清水は当時の場所に存在し唯一の建物の遺構として陣屋の裏門と伝わる門が厚木市に境内を構える福伝寺の山門として移築現存しています。
 小田原城−城郭建築概要
小田原城の築城年は不詳ですが、小田原城平安時代末期には既に存在し小早川遠平の居館だったとされます。小早川遠平は土肥実平の嫡男で小早川村に城を構えた事から小早川氏を名乗り、早くから源頼朝に従った事で鎌倉幕府の御家人となっています。遠平は建保元年(1213)の和田合戦に、敗者側の和田家に加担した事で沼田荘(安芸国沼田郡の荘園:広島県三原市)に移封となり、後裔は戦後時代に大名となっています。その後は土肥家一族が入り長く支配していましたが、応永23年(1416)の上杉禅秀の乱で、敗者側の禅秀方に加担した事で衰退し、変わって当地まで台頭していた大森氏が小田原城の城主となっています。戦国時代に入ると韮山城(静岡県伊豆の国市)の城主北条早雲が相模国にまで進出し当時の城主大森藤頼が早雲の策略に嵌り小田原城を奪取したと伝えられています。その後、北条氏綱の代に居城を小田原城に移すると随時、拡張と整備を行い当時の日本を代表する大城郭となりました。防御的にも堅固で永禄4年(1561)には上杉謙信、永禄12年(1569)には武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)に攻められましたが何れも退け、小田原城は難攻不落との名声を得ました。北条氏は小田原城を拠点にして勢力は関東一円まで広げ大きな影響力を持ちましたが、天正18年(1590)に所謂「小田原の役」により豊臣秀吉の侵攻を受け3ヶ月に渡る籠城戦の後に降伏し開城、大大名家としての北条氏は没落しています(一万石余で再興)。その後、徳川家康の関東移封に伴い小田原城には家康の家臣である大久保忠世が配されると、家康の居城である江戸城より大規模で堅固であると不都合だった為、忠世は城郭の規模を縮小しています。江戸時代に入ると小田原藩の藩庁、藩主居館が設けられ、慶長19年(1614)に大久保忠隣が改易後は阿部家、稲葉家、大久保家が城主を歴任して明治維新を迎えています。明治4年(1871)の廃藩置県により小田原藩が廃藩になると小田原城も廃城となり多くの施設は取り壊され、明治34年(1901)以降には小田原御用邸が置かれました。小田原城の遺構は少なく、幸田門と城門の1つと伝わる建物が民家に移築されています。
 中原御殿−城郭建築概要
中原御殿は文禄5年(1596)、徳川家康によって設けられた御殿で「御旅館」と呼ばれました。江戸時代に入ると家康は江戸城を2代将軍徳川秀忠に譲り、駿府城(静岡県静岡市)を隠居城とした為、江戸と駿府を往復する際の宿所や鷹狩りの際の休息所として利用されました。元和2年(1616)に家康が駿府城で死去すると、遺言により遺骸は久能山(静岡県静岡市:久能山東照宮)に葬られ、一年後に御霊が日光(栃木県日光市:日光東照宮)に勧請される事になりました。元和3年(1617)、御霊は棺に入れられ(遺骸を棺に入れたとも)、東海道を北上し日光に向う際、3月20日に中原御殿に泊まっています。中原御殿は家康が死去した事で重要性が失われ明暦3年(1657)には廃止となり破却されました。中原御殿は標高10m(比高1m)程度の高台で東西約140m、南北約100m、約7100坪の規模で周囲を土塁と約10m幅の堀で囲んでいました。現在は目立った遺構は無く、跡地は平塚市立中原小学校の校庭として利用され、唯一の遺構とされる御殿の裏門が善徳寺の山門として移築されています。
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