京都府: 城郭建築

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 京都府:城郭建築一覧
市町村 城名 名称 現在 概要 備考
京都市 二条城 二の丸御殿 同左 慶長7年:複合御殿 国宝
京都市 二条城 御殿唐門 同左 慶長7年:向唐門 国重文
京都市 二条城 御殿台所 同左 慶長7年:入母屋、本瓦葺 国重文
京都市 二条城 東南隅櫓 同左 慶長7年:2層2階、入母屋、本瓦葺 国重文
京都市 二条城 東大手門 同左 寛文2年:櫓門、入母屋、本瓦葺 国重文
京都市 二条城 本丸御殿 同左 弘化4年:入母屋、本瓦葺 国重文
福知山市 福知山城 銅門番所 同左 入母屋、本瓦葺、本丸に移築 市指定
福知山市 福知山城 城門 明覚寺 高麗門、切妻、本瓦葺 市指定
福知山市 福知山城 城門 法鷲寺 高麗門、切妻、本瓦葺 市指定
福知山市 福知山城 銅門 正眼寺 高麗門、切妻、本瓦葺 市指定
京都市 伏見城 大手門 御香宮神社 元和8年:薬医門、切妻、本瓦葺 国重文
京都市 伏見城 車寄 御香宮神社 寛永2年:入母屋、本瓦葺 府指定
京都市 伏見城 唐門 西本願寺 慶長年間:四脚向唐門、檜皮葺 国宝
京都市 伏見城 唐門 豊国神社 慶長年間:四脚向唐門、檜皮葺 国宝
京都市 伏見城 城門 二尊院 慶長17年:切妻、本瓦葺 市指定
京都市 伏見城 城門 天竜寺 寛永18年:四脚門、切妻、銅板葺 府指定
京都市 伏見城 御成御殿 正伝寺 慶長年間:正伝寺の方丈として移築 国重文
舞鶴市 田辺城 黒金門 瑞光寺 切妻、桟瓦葺
宮津市 宮津城 太鼓門 宮津小 切妻、本瓦葺
園部町 園部城 巽櫓 同左 2層2階、入母屋、本瓦葺
園部町 園部城 表門 同左 櫓門、入母屋、本瓦葺
           
 二条城−城郭建築概要
京都の二条大路周辺に築かれた城郭又は館を二条城と呼び、室町時代以降、多少位置を変えながら設けられました。当初は室町幕府初代将軍となった足利尊氏が屋敷を構えたのが始まりとされ、その後13代将軍足利義輝の居城となりました。ただし、完成目前の永禄8年(1565)、所謂「永禄の変」で三好義継、三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)、松永久通の襲撃を受け落城、義輝も討死しています。その後、城跡は真如堂の境内となりましたが、永禄12年(1569)15代将軍足利義昭の居館である六条本圀寺が襲撃されるという事件(本圀寺の変)が発生、それに伴い本格的な城郭の必要性が求められ織田信長が城域を拡張し石垣に2重の堀、3層の天守閣、豪華な御殿を設け義昭の居城としました。信長が義昭を京都から追放すると一端廃城となり天正4年(1576)には施設等が解体され、新たに信長の居城となった安土城(滋賀県近江八幡市安土町)に移され、近くにあった旧二条邸を譲り受けて譲り受け信長の京都での宿所として整備されました。天正7年(1579)には皇太子誠仁親王に献上した事で「二条新御所」と呼ばれるようになり、天正10年(1582)の本能寺の変の際は、信長の嫡男織田信忠が「二条新御所」に立て籠もり奮戦虚しく討死した事でも知られています。天正11年(1583)、豊臣秀吉が京都での拠点として改めて二条城を築城、当時は「二条第」と呼ばれ堀や天守閣なども備えられ聚楽第が設けられるまで京都の政庁が置かれました。江戸時代に入ると徳川家康により京都による徳川家の宿所として天下普請で拡張整備され西国大名が築城に刈り出され現在に近い城郭となりました。築城は慶長6年(1601)に工事が開始され慶長8年(1603)に概ね完成、二条城では徳川家康が征夷大将軍補任の宣旨や、家康と豊臣秀頼の謁見、大政奉還などの歴史的な舞台となりました。
 伏見城−城郭建築概要
伏見城は豊臣秀吉の隠居所として文禄元年(1592)に伏見指月(京都市伏見区桃山町泰長老)で工事が開始され、文禄2年(1593)には概ね完成し徳川家康や前田利家などと茶会が開かれています。文禄3年(1594)、明(中国)との外交上の権威付けと、嫡男豊臣秀頼に大坂城に譲る事を想定し本格的な城郭、伏見城として築城が開始、同年の8月に概ね完成しています。城下町には有力大名の屋敷が構えられ、湊や街道の整備も同時に行われ、京都と大坂を繋ぐ重要拠点となりました。慶長元年(1596)の大震災により大きな被害を被りましたが、すぐさま木幡山(京都市伏見区桃山町大蔵)に再建が行われ慶長2年(1597)には天守閣を含めて完成しています。慶長3年(1598)に秀吉が没し豊臣秀頼が大坂城に移ると慶長5年(1600)には徳川家康が伏見城に入り大きな影響力を行使するようになります。同年、家康は上杉家討伐で会津に出陣すると家臣である鳥居元忠が僅かな兵と共に伏見城に残り守っていましたが、石田三成率いる西軍が急襲し落城、元忠以下多くの城兵は自刃として果てています。慶長7年(1602)から伏見城の再建が始まり慶長11年(1606)には完成していますが元和5年(1619)に廃城、その後、城門や櫓などの建物が随時大名に払い下げとなり寛永元年(1624)に解体工事が終了しています。
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