石和陣屋は寛文元年(1661)、甲府藩(本城:甲府城)15万石の藩主徳川綱重の命により平岡良辰によって設けられました。 綱重は3代将軍徳川家光の3男で慶安4年(1651)に甲府城の城主となりましたが、所謂定府大名だった為、甲府城には入らず江戸城桜田邸で政務を行なっています。宝永元年(1704)徳川綱豊が家宣に改名し5代将軍徳川綱吉の養子になると、柳沢吉保(幕府側用人・譜代大名・徳川綱吉から寵愛された。)が甲府藩主となり石和陣屋もその支配下に入ります。享保9年(1724)に柳沢吉里が大和国郡山城(奈良県大和郡山市)に移封になると甲府藩は廃藩となり、幕府の直轄領である天領となり、石和陣屋には幕府からの役人(代官)が派遣され支配地域の行政や年貢の徴収などが行われました。明治維新により幕府が倒れると現在の山梨県東部を管轄する石和県が立県し、県庁が石和陣屋に設置、しかし、甲斐府が成立すると石和県は廃止となり石和郡政局となり明治2年(1869)に甲府県庁に統合されています。
その後、敷地は南小学校の校庭として整備された為、その姿を見る事は出来ません。石和陣屋の唯一の遺構である陣屋門は、八田家(山梨県指定史跡)の表門として移築され現存しています。陣屋門は、寛文元年(1661)に建てられたもので寄棟、桟瓦葺、大壁造、塗屋造り、白漆喰仕上げ、長屋門形式、中央部が門扉となっています。
長屋門の寄棟タイプは少し珍しいスタイルで、門の部分の屋根がせり上がっていて印象的な構成になっています。そういう意味では古風な長屋門なのかも知れません。
八田家:動画
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