福井県: 城郭建築

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 福井県:城郭建築一覧
市町村 城名 名称 現在 概要 備考
坂井市 丸岡城 天守閣 同左 独立式望楼型天守、2層3階 国重文
坂井市 丸岡城 城門 民家 切妻、桟瓦葺、三間一戸
あわら市 丸岡城 城門 蓮成寺 切妻、桟瓦葺、三間一戸
大野市 大野城 鳩門 光明寺 文政11年:櫓門、入母屋、桟瓦葺
大野市 大野城 不明門 真乗寺 移築城門:切妻桟瓦葺 市指定
鯖江市 鯖江陣屋 受福堂御門 松阜神社 天明4年:薬医門、切妻、桟瓦葺 市指定
鯖江市 鯖江陣屋 御用屋敷門 萬慶寺 移築城門:切妻、桟瓦葺
鯖江市 吉江陣屋 大手門 西光寺 山門:切妻、桟瓦葺、一間一戸
敦賀市 敦賀城 中門 来迎寺 移築城門:切妻、桟瓦葺
越前市 府中城 城門 正覚寺 移築城門:高麗門、石瓦葺 市指定
越前市 府中城 城門 龍泉寺 移築城門:高麗門、桟瓦葺
福井市 福井城 本丸御殿 瑞源寺 本丸御殿の御小座敷と大奥御座之間 県指定
福井市 福井城 大奥御殿 瑞源寺 本丸御殿の御小座敷と大奥御座之間 県指定
小浜市 小浜城 順造館正門 若狭高校 切妻、本瓦葺、一間一戸 市指定
小浜市 小浜城 書院玄関 多田寺 位牌堂、唐破風玄関屋根
 丸岡城−城郭建築概要
丸岡城丸岡城は天正4年(1576)、豊原寺城の城主で、柴田勝家の甥である柴田勝豊によって築かれたのが始まりとされます。天正10年(1582)、本能寺の変で明智光秀により織田信長(安土城の城主)が討たれ、その光秀も羽柴秀吉に討たれると、織田家重臣による清洲会議が行われ、近江長浜(滋賀県長浜市)一帯が柴田領となった為、勝豊は近江国長浜城に移される事が決まりました。変わって丸岡城には柴田勝家直参の家臣である安井家清を城代として配しましたが、天正11年(1583)、勝家が羽柴秀吉に賤ヶ岳の戦いで破れ、居城である北ノ庄城(福井県福井市)が落城し自刃すると、当地は秀吉に従った丹羽長秀の領地となり、丸岡城には家臣青山宗勝が入ります。天正13年(1585)に長秀が死去すると丹羽長重が跡を継ぎましたが、越中遠征の不手際から123万石の大大名から若狭国15万石に減封となり、それを機に青山宗勝は秀吉直臣となり引き続き丸岡城を任されます。慶長5年(1600)、宗勝は関が原の戦いで西軍に与し前田利長と戦った為に改易となり、変わって越前領主となった結城秀康(徳川家康の次男)の家臣今村盛次が丸岡城に配されます。慶長17年(1612)久世騒動(越前騒動)に連座して今村盛次は失脚、丸岡城には福井藩の附家老として派遣された本多成重が入ります。寛永元年(1624)に福井藩2代藩主松平忠直が不手際や不行跡により豊後国に配流になりますが成重に罪は及ばず独立し丸岡藩を立藩します。元禄8年(1695)、4代藩主松平重益は御家騒動により改易となり、有馬清純が入封、以後、有馬家が丸岡城主を歴任し明治維新を迎えています。丸岡城は標高約17mの丘陵に築かれた連郭式平山城で現在でも現存する日本最古の天守閣が聳えています。日本100名城

丸岡城:動画

 越前大野城−城郭建築概要
越前大野城越前大野城は天正8年(1580)に金森長近に築かれた山城です。天正10年(1582)、本能寺の変で織田信長が倒れると柴田勝家に近かった長近は羽柴秀吉と対立、天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いで勝家が秀吉に敗れると、秀吉に従います。その後、小牧・長久手の戦い、富山の役で功を挙げ天正13年(1585)に長近は飛弾高山城(岐阜県高山市)に移封になっています。代わって越前大野城には長谷川秀一、青木一矩、織田秀雄と羽柴秀吉の家臣が入りますが、慶長5年(1600)の関が原の戦いで秀雄は西軍に与した為に改易となり、慶長6年(1601)に福井藩の藩主となった結城秀康の家臣土屋昌雄が城代として入ります。元和9年(1623)、福井2代藩主松平忠直が豊後府内藩(大分県大分市)に配流になると、越前大野城には寛永元年(1624)に松平直政が入封し、越前大野藩を立藩、これにより、福井城の支城から藩庁、藩主居館となっています。その後、松平直基、松平直良、松平直明と短期間に城主が代わり、天和2年(1682)に播磨明石藩へ移封となると土井利房が下妻藩(茨城県下妻市)から入封しています。その後は土井氏が明治まで城主を歴任し治維新後に越前大野城は廃城となり破却されています。建築の遺構としては不明門が真乗寺山門、鳩門が光明寺山門、8代藩主土井利忠の隠居所が柳廼社社務所として移築現存しています。

越前大野城:動画

 福井城−城郭建築概要
福井城福井城は、慶長5年(1600)に初代福井藩(当時は北ノ庄藩)の藩主となった結城秀康により築城された平城です。この地は戦国時代に織田信長の家臣、柴田勝家の居城である北ノ庄城があり、刷新する形で福井城が築城されました。隣国に大大名である加賀藩前田家が控えていた事で重要視され、福井城は徳川家康自ら縄張りを行い、天下普請により隣国の大名が築城に尽力しました。工事は慶長6年(1601)から6年にわたる大工事となり、城域は約2キロ四方、本丸には4重5階の天守閣(寛文9年の火災で焼失後は南西隅櫓を改修して天守として代用)、3重櫓2基、2重櫓1基が設けられました。越前松平家は当初68万石の大大名でしたが紆余曲折あり13代藩主松平治好の代で32万石となり明治維新を迎えています。明治4年(1871)に福井城は廃城となり、建築の遺構としては本丸御殿の「御小座敷」が瑞源寺の本堂、「大奥御座之間」が同じく瑞源寺の書院として移築され現存しています。

福井城:動画

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