【松前町】−北海道の江戸時代は南部の一部が松前藩の領域でした。藩といっても年貢として収める米の生産が出来る訳ではなく、主にアイヌ人を通して蝦夷地の特産物を取得し、北前船などで京都や大坂に運び利益をえました。江戸時代初期には松前氏の居館である福山館が築かれ城下町も整備されました。江戸時代中期になると正式の幕府体制に組み込まれ交代寄合旗本、さらに諸侯格となり幕末には3万石格として日本最後の本格的和式城郭が築かれています。往時は数多くの武家屋敷が構えられていましたが、明治維新以後、蝦夷地(北海道)の中心は札幌に移った為、急速に衰退し多くの武家屋敷も失われています。現在は目立った武家屋敷の遺構は見られませんが、寺町周辺が往時の雰囲気が残されています。
【函館市・その他】−江戸時代末期に開国すると函館港もその1つとなった為、函館奉行所が設置され、さらに重要性を帯びると五稜郭が築城されています。両城とも戊辰戦争の戦禍により城下町に大きな被害を受け、その後の開発により当時の武家町としての町並みや、武家屋敷の主要の遺構も失われています。このページでは明治維新後に職を失い屯田兵として北海道に入植した士族の居宅である屯田兵屋を紹介します。武士という身分が剥奪されたこともあり屯田兵屋は格式のある意匠が排された機能重視の住宅で当時の生活を窺うことが出来ます。ただし、その遺構も急速に姿を失い、文化財指定されている数軒を残すのみとなっています。
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