青鬼集落(長野県白馬村)・概要: 青鬼集落のある地は古くは「千国庄」と呼ばれる白河上皇の長女都芳門院婿子内親王六条院の荘園内にあり、 比較的早くから開発された地域で、戦国時代に入ると仁科家の一族沢渡氏が三日市場城を本城して周辺を支配しました。江戸時代には松本藩に属し、集落内には糸魚川と松本城下を結ぶ千国街道の千国宿と、北陸街道の直江津と中山道の追分宿を結ぶ北国街道の善光寺宿(長野県長野市:善光寺の門前町)を結ぶ善光寺道が通り、人や物資の往来があったようです。青鬼集落には現在も14戸の伝統的な家屋と、住居郡から少し離れた場所に7棟の付属舎(蔵など)が残され(火災の際、全てを焼失しない為に主屋と付属舎を別々の土地に建てられたとされます)、屋敷内には畑地、東側一段高い場所の斜面には棚田(日本の棚田百選)が配され往時の農山村茅葺集落の形態を留めています。
青鬼集落の家屋の多くは南斜面の傾斜地の地形に沿って三日月状に2段に建てられ、木造2階建、寄棟、茅葺(現在は茅葺の上部に鉄板やトタンを被せている)、屋根の正面(南側)側に大きな欠き込みがあり、2階に採光、通風が可能な開口部を設け、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は板張となっています。
青鬼集落の入口には向麻石仏群、阿弥陀堂には阿弥陀堂石仏群、その他にも道端には多くの石碑、石仏、石祠が建立され、集落中央から高台に長い参道が延びた場所に鎮守である青鬼神社が鎮座し、住民達の信仰の中心として心の拠り所として大切に管理され現在でも白馬村指定無形文化財に指定されている火揉みの神事や灯籠揃えなどが行われ伝統が伝えています。
青鬼神社の境内には明治26年(1893)に再建された一間社流造、こけら葺の本殿をはじめ、境内社である諏訪神社(延享4年:1747年建築、一間社流造、見世棚造、板葺き)や神楽殿(寄棟、茅葺:鉄板被せ、桁行4間、梁間3間)、小祠、石灯籠、手水鉢などがあり神域に相応しい雰囲気が感じられます。
その他に青鬼集落にはカツラやホウノキ、スギなどの大木や「桂の清水」、「馬場の清水」などの湧水、長さ3kmの「青鬼上堰(用水路)」、これらが集落の景観を形成しています。青鬼集落は、上記の要素が評価され国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
青鬼集落の景観要素−伝統的建造物(建築物):主屋14棟、神社覆屋2棟(青鬼神社・諏訪神社)、神社本殿2棟(青鬼神社・諏訪神社)、消防小屋1棟、神楽殿1棟(青鬼神社)、物置1棟、蔵1棟、土蔵7棟、合計29棟。伝統的建造物(工作物):観音様7カ所、鳥居1カ所、地蔵1カ所、棚田石垣122カ所、石祠6箇所、石垣44カ所、堰2カ所(青鬼上堰・青鬼下堰)、神社幟立て1カ所、神社手水鉢1箇所、灯籠5カ所、石段・石畳1箇所(青鬼神社)、氏神様4カ所、三峯様1カ所、石仏群2カ所(向麻石仏群・阿弥陀堂石仏群)、稲荷社1カ所、阿弥陀堂内陣1件、合計200件。環境物件:樹木4本(カツラの大樹・スギの大木・ホオノキ・抜け止めのカツラ)、清水2カ所(桂の清水・馬場の清水)、合計6件。
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