荻ノ島集落・概要: 荻ノ島集落(新潟県柏崎市)の発生年は不詳ですが、 木曽義仲の残党が当集落に逃げ込んだとの記録が残っていた事から平安時代末期には既に成立していた事が窺えます。江戸時代には高田藩、天領、白河藩、桑名藩などが短期間に支配し、凡そ30棟前後の家屋があり200石前後の石高がありました。明治時代以降は増加傾向になり100戸前後まで増えましたがその後は過疎化して40戸前後まで減少しました。荻ノ島集落は中央の田園を取り囲むように楕円形に家屋が配置されているのが大きな特徴で一般的に「環状集落」と呼ばれています。このような集落形態になった理由は諸説ありますが田圃を外敵から守る為とも、管理がし易かったとも云われています。地形は楕円形の頂点部が高所で緩やかな傾斜地で各戸の田圃に円滑に水が配られるように工夫され、長い年月をかけて集落が形成されてきた事が分かります。現在でも10棟前後の茅葺屋根民家が現存し、往時の雰囲気が色濃く残る集落景観を見る事が出来ます。
豪農建築・概要: 新潟県は日本一の豪農を輩出しています。豪農の定義には諸説ありますが大正13年(1924)に農林省農務局が概ね50町歩(500反)以上を豪農として計測した結果、新潟県には256戸と他県を圧倒して第1位となりました。さらに全国で1千町歩以上の豪農が9軒ありましたが、その内新潟県では市島家(1466町歩)、伊藤家(1384.7町歩)、田巻七郎兵衛家(1260町歩)、斎藤家(1226町歩)、白勢家(1130町歩)と5軒を占めました。豪農はその圧倒的な経済力から邸宅も贅を尽くしたものが多く、その為、現在でも「豪農の館」として保存され文化財指定されているものが点在しています。
村上城の武家屋敷: 村上城の城下町には現在でも複数の武家屋敷が残されおり、国指定重要文化財に指定されている若林家住宅をはじめ、成田家住宅、嵩岡家住宅、藤井家住宅、岩間家住宅がそれぞれ村上市指定文化財に指定されています。武家屋敷とはいえ、基本的に木造平屋建て、茅葺屋根の建物が殆どで式台付の玄関や床の間付の座敷などに武士としての格式が見られます。又、新発田城の城下町には現在では珍しい茅葺屋根の足軽長屋が残され国指定重要文化財に指定されています。
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