出羽三山と茅葺: 出羽三山は全国でも有数の信仰の山で現在でも数多くの熱心の信者や観光客が参拝に訪れてます。往時は山内に茅葺屋根の堂宇が甍を並べていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により、羽黒山、月山、湯殿山は何れも神社に転じた為、多くの寺院、支院、坊が廃寺に追い込まれ、それに伴い堂宇も破却され、仏像や仏具も破却、散逸しました。残された茅葺屋根の堂宇も随時葺きかえられた為、現在では数える程になっています。そのような中でも現在、出羽三山の信仰の中心となっている出羽三山神社三神合祭殿は茅葺屋根が維持され威容を誇っています。三神合祭殿は文政元年(1818)に再建されたもので桁行約26m、梁間約20m、高さ28m、茅葺厚さ2.1m、建坪617u、茅葺屋根の木造建築物としては日本最大で、茅葺屋根としても東北随一の規模とされています。又、境内には今では大変珍しくなった茅葺屋根の鐘楼堂も残されています。鐘楼堂は元和5年(1619)に山形藩(山形県山形市・本城:山形城)3代藩主最上義俊(源五郎)が再建、切妻、茅葺、重い屋根と梵鐘を支える為、柱や梁など部材が太く存在感のある建物で国指定重要文化財に指定されています。山麓に境内を構える湯殿山神社の別当だった湯殿山総本寺瀧水寺金剛院大網大日坊の山門(入母屋、三間一戸、八脚門、山形県指定文化財)や、出羽三山の信仰の道として発展した六十里街道の宿場的な機能をもった田麦俣集落には旧遠藤家住宅(木造3階建、多層民家、兜造り、寄棟、平入、国指定重要文化財)などの茅葺屋根が残されています。
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