愛知県の楼門建築2

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名 称
内   容
場  所
・大樹寺○応仁元年、松平親忠が尾張の品野・三河の伊保の兵と井田野で戦い勝利、しかし、犠牲者も多かった事から、千人塚を築き死者の霊を供養しました。文明7年、松平親忠が改めて犠牲者を供養する為に大樹寺を創建しました。以来、松平歴代の菩提寺として庇護され随時境内が整備されました。徳川家康の遺言により家康の位牌が安置される事となり、歴代徳川将軍家もそれに倣い、自身の身長と同じ大きさの位牌が納められました。三門は寛永18年(1641)に造営されたもので、入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚楼門、愛知県指定文化財に指定されています。

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・愛知県
・岡崎市
・鴨田町
・滝山寺○滝山寺は奈良時代に役小角が創建したと伝わる寺院です。その後衰微しましたが、保安年間に仏泉上人が天台宗の寺院として再興し熱田神宮の保護もあり関係を深くしました。中世に入る鎌倉幕府、室町幕府、歴代領主から庇護され寺運も隆盛しましたが、室町幕府が臨済宗に改宗すると庇護を失い衰微しました。江戸時代に入ると徳川将軍家の庇護となり寺領412石で再興、3代将軍徳川家光は堂宇を造営する共に、境内の一角に東照宮を創建しさらに200石が加増されました。三門は室町時代前期に建てられたもので、入母屋、こけら葺、三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。

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・愛知県
・岡崎市
・滝町
・津島神社津島神社は欽明天皇元年に建速須佐之男命の和魂を奉祭し創建したと伝えられています。格式が高く嵯峨天皇から正一位の神階と日本総社の称号を賜り、全国の津島信仰の本社となりました。戦国時代には尾張守護職織田家の崇敬社として庇護され社運も隆盛しました。織田家が没落後も豊臣家、尾張徳川家が庇護し社領1293石が安堵され門前町もおおいに賑いました。楼門は天正20年(1592)に造営されたもので、入母屋、桧皮葺、三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。

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・愛知県
・津島市
・神明町
・尾張大国霊神社尾張大国霊神社は崇神天皇の時代に創建された古社で、尾張国府が近くにあった事から国事の祭祀を司り国府宮や尾張総社とも呼ばれました。格式も高く、平安時代中期に成立した延喜式神名帳に式内社として記載され、国府宮三社、尾張五社にも数えられました。歴代領主、為政者から崇敬庇護され、江戸時代には尾張徳川家より社領150石が安堵されていました。楼門は下層部が室町時代後期、上層部が正保3年に造営されたもので、入母屋、桧皮葺、三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。

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・愛知県
・稲沢市
・国府宮
・長光寺○長光寺は仁寿元年に小野篁が地蔵尊を安置し、応保元年に平頼盛によって寺院として整備されました。延元3年に足利尊氏が戦勝祈願を行い、念願成就すると仏意に感謝し祈願所として山門を造営しています。その後は織田家、徳川家、江戸時代には領主である尾張徳川家が庇護しました。楼門は江戸時代中期に建てられたもので、入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚楼門、稲沢市指定文化財に指定されています。

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・愛知県
・稲沢市
・六角堂
・甚目寺○甚目寺は推古天皇5年に創建した寺院で、天智天皇の重病平癒の祈願を行い見事治癒した事から朝廷よい境内の整備が行われました。鎌倉時代に最盛期となり一山5百余坊を擁する大寺院となり寺運が隆盛し、戦国時代には織田家によって庇護されます。特に、織田信雄は篤く帰依し長野善光寺の本尊を遷し広大な寺領を安堵しています。江戸時代に入ると尾張徳川家の庇護となり尾張四観音寺に数えられました。南大門は鎌倉時代初期の建久7年に建てられた愛知県最古の木造建築で入母屋、こけら葺、三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財に指定。

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・愛知県
・あま市
・甚目寺町
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愛知県1真清田神社頓聴寺伊賀八幡宮六所神社随念寺
愛知県2大樹寺滝山寺津島神社尾張大国霊神社長光寺甚目寺
愛知県3大鷲院十念寺報光寺荒子観音寺
愛知県4大須観音興正寺建中寺東本願寺名古屋別院日泰寺
愛知県5聖運寺養寿寺鳳来寺総持寺宝蔵寺了運寺
愛知県6洞泉寺赤岩寺豊川稲荷大恩寺龍源寺

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